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「鮮やかな色彩を避け、代わりに薄い灰色が無限に続く。…私は灰色が好きだ」。バッハが最晩年に、時代の流行すべてに背を向けて書いた「フーガの技法」についてグールドが述べた言葉である。
もっとも禁欲的で厳粛な、荒涼とした音楽。バッハの死の直前のこの傑作は、楽器編成が謎とされてきたため、さまざまな編成で演奏されるようになり、オーケストラで演奏されることさえあった。グールドはオルガンとピアノの2種類で録音を残した。
ディスクの前半9曲はパイプオルガンによるもので、1962年の録音である。きわめて非オルガン的な、奇妙な演奏であって、発売当初から非難の的となったものだ。まずオルガンにはつきものの空間性がまったくない。ミヒャエル・シュテーゲマンのライナーノートによれば、オルガン用の楽譜ではなく、チェルニーがピアノ用に校訂した楽譜に足鍵盤の指定を自分で書き込んだものを使用したという。少なくとも3番、4番、5番は手だけで足は使っていない。足鍵盤の使用は最小限に抑えられ、レガート奏法を徹底的に避け、楽器の送風音(まるで教会の外を行き交う自動車の排気ガスのようにブーンと聴こえる)を目立たせる風変わりなマイクのセッティングを行った。楽器の機械音とはいえ、聴いていて気分が悪くなるようなノイズをわざと拾っているグールドの狙いは何なのか? 聴けば聴くほど不思議な、まるで壊れた手回しオルガンのようにぎこちない味わい。グールドの残した録音中、最も「怪演」のひとつに数えられるものだ。
後半のピアノによる録音は、1967年および、グールド死の前年の1981年に収録されたものだ。すべてのテクスチュアがくっきりと浮かび上がり、闇の中に輝く美音が知的な刺激を撒き散らしながら、均整美の極致へと誘う、空前絶後の名演である。特にバッハ絶筆の第14番(未完のフーガ)が何と言ってもすごい。淡々と、しかし不思議な執念をもって進む厳粛なフーガが、まるで感電したように突然止まる。バッハが絶筆したまさに凍りつくような瞬間。「あらゆる音楽の中でこれほど美しい音楽はない」とグールドが断言する、この究極の12分間だけでも、本ディスクの価値は永遠のものと言えるだろう。(林田直樹)